阪神淡路大震災から26年。「未治療死」を無くすには。
未治療死という言葉を初めて聞いた。
先日のNHKスペシャル番組「巨大地震と“未治療死” ~阪神・淡路から26年 災害医療はいま~」だ。
知っていて見たのではなく、「麒麟が来る」の後にそのままの流れで番組をみた。
この日は、私が生きている中で初めて地震の怖さを知った「阪神淡路大震災」から26年ということは知っていた。
余談だが、「兵庫県南部地震」と「阪神・淡路大震災」の違いはわかるだろうか。
見ての通りであるが「・・・地震」は地震そのものの名称、
「・・・震災」は地震によって引き起こされた被害の名称である。
因みに2011年に起った「東北地方太平洋沖地震」は、「東日本大震災」と名付けられた。
他に「・・・震災」と名付けられたのは「関東大震災」だけである。
まだ記憶に新しい2つの地震が、日本の歴史の中でも大規模であったことがわかる。
阪神淡路大震災の日、地震の揺れで目が覚めた。
そんな経験は生まれて初めてだった。
後に流れるニュースに釘付けになり、被害の甚大さに地震の怖さを思い知った。
震災で亡くなられたのは6434人、その大半が建物の倒壊による圧死であったことに愕然とした。
「地震で亡くなったのではない、地震によって倒壊した建物が原因」である。
番組では「未治療死」という言葉を初めて聞いた。
治療さえ受けられれば助かったのに、治療できず亡くなられた「未治療死」の方が多かったという事実。
冷静に考えてみれば、あれほどの被害の中ではできる術が限られていたのだと思う。
番組は治療に携わった医師の当時の思いや、次から次へと運ばれてくる人々に何もすることができたなったことに、
未だに自分に憤りを感じている方が多数いると紹介されていた。
これを教訓に、災害時、緊急事にいかに医療体制を構築するかが課題となり「災害派遣医療チーム」(DMAT)や
民間の医療チームの創設により、「未治療死」を少しでも減らすことに、
多くの医療従事者が奮闘している。という内容だった。
未治療死の数の多さを知った私は愕然とした。
地震が早朝だったということもあり、
死亡された方の多くは建物(特に住宅)の倒壊によるものだったのだ。
震災から26年、私も住宅建築に携わるものとして、
自身が手がける住宅の耐震性には何よりも拘りを持ち、家作りに取り組んでいる。
あの時、日本の建築技術、地震に対する建築の知識、技術が発展していれば、被害者はもっと少なかっただろう。
過去の事実にいくら向き合っても、時間を戻す事はできないが、
あの日を教訓に、我々建築人はもっと意識改革をしなければならない。
まだまだ足りない、意識が低い、そう感じざるをえない。
今年、会社では大きな目標を掲げた。
巨大地震でも倒壊しない本当に強い家をもっと広めよう。
阪神淡路大震災を機に、国の耐震レベルが上げられた。
だが、2016年の熊本地震で比較的新しい家が倒壊した。
驚くべきことに、阪神淡路程度の震度でも安心とされていたはずの耐震等級2の家が倒れたのだ。
1度目の揺れでは耐えたのに、2度目以降の大きな揺れで倒れた。
「繰り返し地震」の被害が大きかった。
このような家が今でもまだまだ建築され続けていることはご存知だろうか。
耐震等級があるからといって、強いと安心しきってはいけない。
現在耐震の最上級は耐震等級3とされているが、地震の規模や種類、
設計や構造計算の仕方によっては、もしかしたら耐えることができないかもしれない。
これは昨今、建築業界でも強く言われ始めている大変重要な事である。
私が危惧しているのは、まだまた世間的に耐震の認識が低いこと。
特に滋賀の地は大きな地震が少ないこともあり、防災の意識が低い。
調べてみるとわかるが、滋賀でも過去およそ100年おきに大地震が発生している。
現在予測されているて南海トラフ地震だけが脅威ではないはずだ。
少し過剰と思われるかも知れないが、これは事実だと受け止めなければならない。
地震に対してどんな備えをしていても、決してそれが過剰と判断することはできない。
地震は来ないのが一番いい。
ただ実際に地震が起きた時に、悲しい思いをする人を無くすことが重要だ。
建築人だけでなく、これから家を建てようとする人を含め、
もっと多くの方に知ってもらうべきだと考える。
「未治療死」を減らすには、まずは被害者を減らす事。
それが我々建築人の使命である、と強く感じている。
代表取締役 楠亀 輝雄