東日本大震災から10年
大きな震災から10年が経ちました。
あの年は津波というものが、これほどの破壊力のある自然災害ということを初めて知った年でした。当然、津波は知っています。歌にもなっています。怖いことだということも知っています。
ただ、現実の津波を目の当たりにして、自分が想像していたものとは遥かに違っていたことに初めて気付かされました。
私はこれまで住宅の耐震性について何度か私の思いを語ってきました。「耐震等級3」の住宅で大地震が来ても住み続けることができる家を推奨し、150棟を超える家を建ててきました。
熊本地震で「耐震等級3」の家に被害が少なく、住み続けることができた事実は明確でありますが、こと津波に対しては、家はどこまでの性能を必要とするのか未だに考えさせられます。
実際、東日本大震災の際、岩手県大船渡市の市街中心付近に我々が手がけている「SE構法」で建てられた家があり、地震による津波の高さは7.5mにも達したそうですが、それでも構造躯体は流されることなくしっかりと残りました。
基礎と構造体以外にかなりの損傷は受けたものの、残った構造躯体は修繕が可能であり、再度利用する計画で進められました。
しかしながら、周囲の建物はほとんど津波で流されてしまい、街の再開発や計画により残った構造体も解体撤去されることになりました。
最近ハウスメーカーでは、水害に耐えられる強い家を開発されているようですが、屋根まで達する7mを越える津波に立ち向かうことができるのか、また今後できたとしても、どれだけのコストがかかり、どこまで一般住宅に普及することができるのか疑問がないわけではありません。
東日本大震災にしても、今後心配されている南海トラフの地震にしても、大きな地震は過去何度も繰り返されています。その度に人類は大きな悲しみの中、この経験から多くを学び教訓として残してきたはずですが、長い年月により、少しずつ少しずつ何事もなかったかのように風化されてきてしまいました。
現に私自身が、当時40年も生きていながら、地域は違うとはいえ、日本人としてこのような大きな津波が来るという過去の教訓を知りませんでした。
悲しい事実の思いは、時間と共に薄れていって欲しい、しかし教訓まで忘れてはいけないはずです。
だからこそ、津波の被害を受けないためには、やはり危険と思われる地域には建てないことが賢明ではないかとさえ考えることもあります。
先日も和歌山で震度5弱、宮城で震度5強の地震が発生しました。
大きな被害ななかったからといって安心することはできません。
何度地震がきたとしても地震に慣れてはいけません。
防災や耐震の意識を高め、対策していくことが大切なのです。
建築に携わる者として与えられた責任は、今後もしっかり果たしていきたいと改めて思います。
10年経ちましたが、まだまだ悲しみの中におられ、復興半ばの方も本当に沢山おられます。
祈る事しかできませんが、1日も早い復興を願っております。